三紫会について

三紫会花柳輔三紫の原点でもあります三紫会は祖母(花柳三紫)が立ち上げた会です。

祖母:花柳三紫の歩み

  • 祖母(花柳三紫)は父母の影響を受けて、5歳より踊りの稽古を始める
  • 十代後半は、名取をめざし小倉の花柳三五郎師匠の指導を受け、昭和18年に花柳流の名取となる
  • 昭和23年より、日舞の師匠として門弟の育成に励む
  • 昭和27年から3年間は、板付や春日原のアメリカ軍駐屯地の子女、ご婦人に日舞を指導
  • 昭和38年福岡市の第一回文化交流使節として、アメリカのオークランド市を訪問
  • 昭和40年には、欧米、アジアの各姉妹都市を訪問して、日舞を指導
  • 同年代には、ロサンゼルス「日本人会」から招聘を受けて、日舞の指導や舞踊会を開催
  • 昭和45年には、福岡南ライオンズクラブ舞踊愛好会の「とんやれ会」にて、約20年に亘り日舞を指導
  • 昭和50年後半には、福岡文化連盟の「ローマの夏まつり、日本週間」への参加、日本舞踊の普及に寄与
  • 平成元年からNHK福岡文化センターの日本舞踊講師を努める

花柳三紫の師籍60周年記念舞踏会「三紫会」を振り返る

花柳三紫の師籍60周年記念舞踏会での三紫によるご挨拶全文ご紹介させていただきます。

花柳三紫による皆様へのご挨拶

【ここから】
「昭和18年に先代の二代目花柳寿輔お家元様より、名を頂いた後、戦後の惨禍と社会の混乱の中、当時は娯楽文化など全く余裕のない時代でしたので、少しでも子女の嗜みになればという思いもあり、子弟に踊りの稽古を初めて今日に至りました。本年(平成19年)は、それから60年の節目の年となりますので、その記念を兼ねて舞踊会を開いてはと勧めてくださる声もあり、本日ここに「三紫会舞踊会」を催す運びとなりました。

このことは、偏に三紫会草創の当時から、数限りない多くの皆様のお引き立てと永年に亘るご支援があったればこそと、深く感謝いたしますと共に衷心より厚く御礼を申し上げます。

また、私の孫であります花柳輔三紫は、東京芸大にて日舞の研鑽を積んだ後、現在は私の稽古場で門弟指導の助手をしながら、踊りの稽古をつづけております。何分にも未熟者ではございますが、今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。」【ここまで】

花柳三五郎師匠と記念撮影

三紫との思い出の共演作品

祖母と共演した思い出の作品をご紹介しております。

清元-吉野山(三紫会)平成19年4月22日 福岡電気ホールにて

義太夫の名作「義経千本桜」における四段目の「道行初音旅」の景事を歌舞伎に移したもので、吉野山にかくれている義経を慕って訪ねていく静御前(花柳三紫)と、そのお供をする忠信(花柳輔三紫)との主従の道行の場面です。桜花爛漫の吉野山を背景に、ここでの忠信は実は人間ではなく、静御前の持参してきた初音の鼓の皮になった狐の子供で、、その鼓を慕って静かのお供をしてきたという捻った舞踊劇に仕立てています。
この舞踊の最高の見せどころは、忠信が、義経の身代わりとなって亡くなった兄継信の、壇の浦の奮戦を語る「いくさ物語」では、精魂込めて演技させていただきました。

花柳三紫・輔三紫

常磐津-釣女(桜紫会)平成14年12月7日 博多座にて

能狂言の「釣り針」の歌舞伎化で、西国のある大名と召使いの太郎冠者が妻をめとるべく、戎様から釣竿を授かって女を釣るという着想が愉快です。大名には美しい上臈がかかり、太郎冠者には醜女がかかり、両者の悲喜こもごもを演じた内容です。三紫が演じる大名は気品のある振り、上臈を演じる姉の振りも品の良さとで、三紫のくどきなど艷やかな振りが見ものでした。
大名:花柳三紫、太郎冠者:花柳輔三紫、上臈:花柳穂三紫、醜女:花柳紫舞鶴

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